相馬小高神社(そうまおだかじんじゃ)
| 御祭神 | 天之御中主命 |
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| 鎮座地 | 福島県南相馬市小高区小高古城13 MAP |
| 社務所 | 福島県南相馬市小高区小高古城13 MAP |
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| お問い合わせ | TEL:0244-44-3009 FAX:0244-44-3009 |
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| 由緒 | 例祭日 五月最終月曜日 野馬懸祭 祭典日 四月二十二日(五穀豊穣祈願祭)、五月最終 土、日曜日(相馬野馬追祭)、十二月六日(新穀感謝祭) 特殊神事 野馬懸祭(国指定重要無形民谷文化財の相馬野馬追祭第三日目の神事で、騎馬武者が野馬を境内の矢来で囲った祭場に追い込み、白衣の御小人が素手で奔馬を捕えて神前に供え、藩内安泰を祈願する。神社仏閣への絵馬奉納の原型である。) 御祭神は、天地の初発の時、最初に高天原に出現した神で、高天原を主宰する天之御中主神である。桓武天皇の玄孫である平良文、平将門が承平元年(931)に上野国(群馬県群馬町)の染谷川で苦戦に落ち入った時、童子形の妙見尊(天之御中主神)が現われて味方し勝利に導いたという。その時の御神告によって千葉氏・相馬氏の守護神として厚く尊崇されることになった。桓武天皇の皇子葛原親王の後胤である相馬氏は、千葉から分祀した妙見神を代々の氏神として下総国守谷城の妙見郭に八幡社の相殿として祀り、妙見八幡と呼んで信仰した。相馬孫五郎重胤の元享年間下総国からの奥州下向に際し、嘉暦元年(1326)新たに居城を小高村に築き、その城内に鎮守として安置し奉ったのが現在の相馬小高神社のおこりであり、累代藩公の崇敬が篤かった。 社名は、妙見大明神、妙見宮、妙見社などと称されており、『奥相志』の行方郡小高郷小高村の項では妙見神祠と記されている。明治五年二月五日に、妙見宮を小高神社に改号する「妙見改号伺」が、元中村県・磐前県を経て神祇省より、「伺之通」と認可された公文書が現存する。明治三十一年九月十五日県社に列せられ、昭和二十六年三月二十二日相馬小高神社と改号して現在に至る。 その間、明治三十五年四月三十日の小高大火で羅災し、御神体のみ辛うじて南小高の貴船神社に御遷座申したものの、社殿等ことごとく鳥有に帰したが、明治三十九年二月二十日内務大臣原敬により「願寄附金募集ノ件聞届ク」と公文書に決裁されて再建が始まり、七年の歳月と巨費を投じて大正二年に現社殿が完成した。また、昭和二十六年十月二十三日「相馬三妙見」の御親神に座す旧相馬子爵家の守り本尊である太素神社(妙見)を当社境内に御神体と共に奉遷して奥の院となし、昭和二十八年四月二十二日に奥の院の正遷宮式を盛大に挙行し、村上浜にお浜下りした。 当社の例祭は、相馬野馬追祭第三日目の野馬懸祭で、騎馬武者が野馬(裸馬)を追立て、野馬道を通って当社境内の矢来の内側に追い込む。この野馬を白丁(白衣)姿の御小人が素手で捕えて神前に供え、藩内安泰を祈願する神事で、全国の神社や寺院での野馬奉納(古くは奉懸とも言った)の原初形態を今に伝えている。この伝統行事が、相馬野馬追が国の重要無形民俗文化財に指定されるに際し、その法的根拠である文化財保護法第五十六条の二十一の「指定基準」(後述)に該当する中心的民俗行事と判定され、国指定決定の決め手となった重要儀式である。なお、捕獲された野馬は境内の御神木に繋がれるが、その様子が世に言う「繋駒」の由来を示している。 重要無形民俗文化財指定基準(※相馬野馬追は一の(一)による) 一、風俗習慣のうちの次の各号の一に該当し、特に重要なもの (一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの (二)年中行事、祭礼、法会等の中で行われる行事で芸能の基盤を示すもの (三)民俗芸能のうちの次の各号に該当し、特に重要なもの(各号は省略) |