日吉神社

日吉神社(ひよしじんじゃ)

御祭神大山咋命 
合祀神 綿津見大神・熊野神社・猿田彦神
鎮座地福島県南相馬市鹿島区江垂中舘94 MAP
社務所福島県南相馬市鹿島区江垂中舘94 MAP
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駐車場
お問い合わせTEL:0244-46-2797
FAX:0244-46-2797
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御朱印
由緒例祭日 四月二十九日
祭典日 一月一日、六月三十日、十一月二十三日、十二月三十日
特殊神事 福島県指定重要無形民族文化財「日吉神社のお浜下りと手踊」・財宝踊・日置流印西派の弓芸・江垂神楽・小島田神楽
縁起書にいわく。「陸奥行方郡真野郷鎮守の山王大権現縁起は次の通りである。人皇九六代後醍醐天皇の時、北畠中納言顕家卿、陸奥の国司・鎮守府将軍に任ぜられ元弘三年(1323)十月皇子義良親玉を奉じ、北畠親房・結城宗広らを伴い陸奥国府多賀城に入り、陸奥出羽両国の統治にあたった。南北朝の争乱のおこるや、多賀国府も北朝軍の攻めるところとなり、建武四年(延元二年・1337)顕家卿は義良親王とともに伊達郡霊山城に逃れた。霊山に勧請鎮座し給う山王権現は京師の鎮守であり朝廷・武将の崇敬深く、顕家卿もこの山王権現を深く言仰し天下の泰平ならんことを祈請。顕家卿はこの年西上、翌年五月、和泉の石津において戦死せらる。のち霊山城は北朝側の攻むるところとなり落城のやむなきにいたる。このとき北畠氏の一族桑折五郎元家、ひそかに山王大権現の御神体を奉じのがれ、千倉庄真野郷江垂村に来たり、一字を建立して山王大権現を安置した。(意訳)」『奥相志』に「当社山王権現は往古霊山の鎮守なり。康永元年(1342)三月上旬国司顕信敗軍霊山城陥る。此時に当り桑折五郎元家山王熊野両神を勧請し、主従七人、其他六人凡十三人之に扈従し武人の体を変じて七福神に准じ、宝財獅子踊と名づけ皆姿を変ず。(中略)高地を以て社地となし座す。」「康水三甲申年四月初申日遷宮祭礼を行ふ。郡主行列して山王の鳳輦を守衛す。宝財・神楽之に列す。烏崎浜に神幸し潮水に垢離すと云ふ。爾来十三年を以て期となし今に至まで古例の如し。」とある。「日吉神社のお浜下りと手踊」は県指定重要無形民俗文化財になっている。御神水は、眼病に効験がある。
境内地には、北野神社・田神社・十二天王社・端山神社祠、村内には愛宕神社・熊野神社・八坂神社が祀られている。