鹿島神社(かしまじんじゃ)
| 御祭神 | 武甕槌神、木花咲耶姫 |
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| 鎮座地 | 福島県相馬市石上字鹿島前71 MAP |
| 社務所 | 福島県相馬市石上字鹿島前71 MAP |
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| お問い合わせ | TEL:0244-35-5717 FAX:0244-35-5717 |
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| 御朱印 | |
| 由緒 | 例祭日 三月十五日(本祭)、三月末の日曜日(神幸祭) 祭典日 新入学生の入学祭にさくらの記念植を行う 特殊神事 例年三月末の日曜日には、子供みこしの渡御により地域内の諸事安全万願成就を祈り、神幸祭並びに小学生児童全員による郷土の情緒豊かな踊りが奉納される。 鹿島の神は甕の連日神の子武甕槌なり。古史に日く、高皇産霊神皇孫を以ちて、葦原の中津国の主に命ず、時に諸々の邪霊神、蛍蝿の如く国土に満つ。故に遠近海陸路甚だ難し。武甕槌神、経津主神と共に、武威をもって邪神を退治し天下を始め給う。「類聚三代格」に依れば、清和天皇の御代(866)貞観八年正月二十日の条に、「大神の苗裔神陸奥國に三十八社あり。」当鹿島神社はその一社にして、木花咲耶姫を合祀奉り、延暦以前(天平年中)にも当社に神宮の封物を割いて奉幣仕え奉りしが、弘仁年中嵯峨天皇の御代(810〜822)以降中絶し、諸々の邪霊が祟りを為すので再び奉幣を許して欲しいと、鹿島大神宮の禰宜中臣道雄が朝廷に奏言し許され、神宮の使者が来社し、奉幣仕え奉るとある。 当社は申す迄もなく、常陸国鹿島大神宮の御分霊にして、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折、延暦中、桓武天皇の御代、国土安泰と勝利を祈願し、東北地方開拓、賊徒平定に当らしめ、鎮撫の神として今より壱千二百年以前、此の現在地に祀られたと伝えている。 この里宇多の郡には、有名な松ヶ浦があり、万葉集の歌枕にもなった名勝地でもある。近郷には多くの入江があり、海陸路交通の基地であり、湾岸に面した丘陵の突端に東面して鎮座している。古代東北開発史の中で大きな役割を果たして来た神として崇敬されてきた。 鹿島林には野鹿が棲み、群れをなせしと言う。合祀せる木花咲耶姫は良縁を授け、安産の神として婦人出産の苦を抜き、育児万全・諸病流行の難を祓い、武甕槌神が邪神を退治しながら道を進んだので、海陸路安全・旅人行程安穏の祓いの神なり。 天文年中、藤橋紀伊守平胤泰当社の前方丘陵に舘を築く。舘主に二子あり。長子「金山彦四郎胤清」次子「石神玄蕃胤長」幼少の砌、病状悪化甚だし。舘主胤泰当病平癒を鹿島社に乞い祈り、奇特にも全治す。故に俗人鳥居脇小佐治をして神に代参せしむ。社前にて白色円形の「小奇石」を拾得せり。後舘主胤泰公、鹿島社を再建して「小奇石」を御神体として奉る。 村人その霊徳により災いも無しという。史上輝かしき千二百有余年の歴史と文化の恩恵は、御祭神の赫々たる御神威に淵源し、郷土の発展へと開花されて行く。 現本殿は明治十六年の改築にして流造り。幣殿左右に雌雄鹿坐像が配され護摩祈祷壇を据え置く。拝殿は平成九年の改築による。一ノ鳥居は昭和二年「昭和御大典記念」として奉納されしもの、三ノ鳥居はステンレス製鹿島造りで平成九年に寄進された。平成十二年に古事に則り鹿島神宮より宮司・禰宜を招聘して創建一二〇〇年祭を斎行せり。 此の里に生を享けし者の、一日も忘るまじき御神徳の所以なり。 |