日鷲神社(ひわしじんじゃ)
| 御祭神 | 天日鷲命 |
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| 鎮座地 | 福島県南相馬市小高区女場明地159 MAP |
| 社務所 | 福島県南相馬市小高区女場明地159 MAP |
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| お問い合わせ | TEL:0244-44-3009 FAX:0244-44-3009 |
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| 御朱印 | |
| 由緒 | 例祭日 四月十日(例大祭) 祭典日 毎月十日(月次祭)、旧九月九日(御幣束祭) 特殊神事 野馬懸御水取りの神事、酉の市神事 御祭神「天日鷲命」は、天孫降臨の際に供奉した三十二神のなかの一神で、天之太玉命の令を奉じて、弓矢兵杖を戴いて大鷲に跨り、先駆けして天下られた尊い神様である。 平将門公が下総の国に在る時、特にこの神を尊び崇敬し、次のように語られたといわれる。 「驚の宮は神代より弓矢の神にして、鷲は猛鳥なり。我が軍敵国に入れば即ち神大鷲に現じて我が旗を導く。我が軍をして大利あらしむれば、即ち子孫永く守護神となすべし。」 元亨三年(1323年)四月、相馬重胤公が総州より陸奥行方郡に下向された時、現在の妙見三社、塩釜社と共に、鷲宮祠官西山源太勝友(開祖)は、鎮守三社の御興を守り、太田邑(現相馬太田神社)に下られ、暫く御興を榎塚にとどめた後、鷲宮は別所向田中に遷幸された。貞治三年(1364)、相馬親胤・胤頼両公の許しを受け、社地を太田から現住地の女場邑舘内に遷座し、以来この地を鷲舘と称し、舘前の田圃を以て神田とし、この地を明地というようになった。当社は、古来「戦いの神」として知られ、「武運長久」を祈願される藩主のご参詣もしばしばであったといわれる。そのためか、先の大戦では軍関係、出征兵士の家族の参拝も多く、現在は、家内安全・商売繁盛・交通安全・必勝祈願等で賑わっている。 相馬野馬追祭(野馬懸御水取りの神事) 五月中ノ申日、野馬追祭の翌日西の日、当社は野馬加持を勤め、柄杓二を神前に捧げた。その柄杓をもって妙見・鷲宮の御神水を汲んで、野馬懸祭に用いた。この神事は明治時代まで続いた。 西の市祭 十一月西の日、商売繁盛・火難消除を祈願し、市が開催されていたが、現在は諸事情により休止されている。尚、この時同時に、はた芋(敵の首になぞらえた)市が開かれたといわれる。 |